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アラタコウ(工藤興市・くどうこういち)のブログ

国際結婚シリーズ、エッセイ、イベント関連、小説を載せています(^O^)

短編小説【地獄へ落ちて見えたもの】

 アキオも二歳になった。最近は達也のことをパパと呼んでくれている……。

 アキオは達也の子供ではない。アキオの父親は正樹という売れない役者だ。

 だが、彼は最高の役者だ。時代が彼に追いついていないだけだ。プロデューサーを殴ってチャンスを逃すその生き様も私を時めかせた。

 お互いの親にも紹介しあった仲なのに、妊娠したことを打ち明けようかと思った矢先、他の女を好きになったと言われた。

「――こいつと付き合ったら俺の夢が現実になるかもしれないんだよ」

 日本に留学生としてきていたその女性は、韓国では有名な芸能事務所の社長の令嬢だそうだ。彼は自分とは合わない日本を捨て、彼女に付いていき韓国で勝負を賭けたいという。

 私は父親しかいない。母は私を産んですぐ死んでしまったらしい。

 左官業を営む父は酒の失敗で上客を失い、細々と仕事をしている。はっきり言って家は裕福な家庭じゃない。

 正樹の家庭はお父さんが画家でお母さんはピアニストの芸術一家だ。

 彼がチャンスをものにするなら、私は潔く身を引こうと思った。

 子供は私が育てればいい。



「ミミちゃん、もうちょっと足を開いてくれるかな?」

 客の要請に恥ずかしいふりをして足を広げる。

 私の仕事はライブチャットレディーだ。

 資格もスキルもない三十二歳の子持ちの女に、このご時世仕事などない。おまけに父は傷害事件を繰り返しては警察に厄介になるぐらい落ちぶれた。お店も畳んで毎日飲んだくれているようだ。

 父の生活費と子供の養育費を稼ぐ為には、エロ系の仕事を探すしかなかった。

 新宿歌舞伎町の子供を預かってくれるソープランドを探したりもしたが、どうしても正樹以外の男とセックスするのが嫌だった。

 そこで見つけた仕事がこのライブチャットだ。

 現在私が登録しているライブチャットはアダルト系一~二サイトとノンアダルト系で三~四サイトだ。

 ノンアダルト系は顔出し必須のところが多いので、アダルト系を中心に稼いでいる。

 二ショットチャット以上に稼げるのがパーティチャットだ。

 パーティチャットは複数のお客さん相手に同時にチャットすることだが、同時に複数の相手とチャットできるので、これを駆使するとかなり収入を増やせる。

 大手がやっている会社の場合、パーティチャットの分給は五十円に設定されている。
 
 単純計算でいえば、分給五十円×男性会員二十名×六十分=六万円になる。一時間で六万稼ぐことも可能になるのだ。

 こちろん全ての女性がこの金額を稼げるわけではない。二ショットチャットで固定客をつけるまでが大変だった。

 客の望み通りにやりたくもないことを沢山やった。

 ある客は生理中のパンツを被ってオナニーしてくれと要求したり、SMで使う透明な浣腸機に牛乳を入れ浣腸をして、洗面器にウンコをしてくれと要求する自称医者だと言っていた男もいた。腋毛を伸ばして、それをピンセットで抜くことを要求した公務員もいた。

 狂った性癖の糞みたいな連中の中で戦ったのは、家族を守る為だった。

 達也にはこの仕事のことは内緒にしている。



 達也との出会いは、彼のバイトをするケーキ屋だった。

 正樹がこのケーキ屋が好きでよく通っていたが、売り子でもないのに、厨房から出てきてありがとうございましたと帽子を取り頭を下げる達也の印象はよかった。

 暫くはこのケーキ屋には、正樹を思い出したりするので通っていなかったが、久々に店で新作のチーズケーキを買って食べたとき、美味しくて涙を流してしまった。

 ケーキを食べて泣いたのは初めてだ。店のオーナーにお礼を言おうと思い出かけると、このケーキは新人パテシエの達也が作ったものだと言われた。

「ありがとうございます。美味しくて涙が出たって言われて僕も泣きそうです。オーナーにはこんな味じゃ店に出せないって今日も怒鳴られていたんです。実際、美味しくないって言われたこともありまして……。正直、今日でこのケーキは店頭には出さないようにしようかと思っていたんです。でもたった一人のファンの人がいたなんて……。感謝です。本当にありがとうございます」

 過去に正樹に感じたこの背中がゾクゾクするような感覚と近いものを達也にも感じた。正樹とは道は違えど、達也は本物のパテシエだ。私が美味しと感じたんだから間違いない。

 何度かデートを重ねていると、達也が私に付き合って欲しいと言い出した。いつか正樹が韓国の女に飽きて私の元に帰ってくれるんじゃないかと思っていたが、達也の真っ直ぐさに惹かれた私は、身も心も彼に委ねてみようかと思った。

 過去のことを正直に話すと、彼は「すべてを受け入れて久美も子供も守るから」と言ってくれた。

 三人でデートすることも増え、結婚を視野に入れ同棲を始めた頃、事件が起こった。

 仕事中に達也が指に大怪我をして、ケーキ職人としては致命的な状態になてしまったのだ。

 職を失った達也が変貌した。

 泣き叫ぶアキオに酔って暴力を振るうのが始まりで、煙草を腕に押し付けたりもした。

 始めこそ達也に飛び掛かって喧嘩をしていた私だったが、度重なるDVで反抗したら思いっきり殴られるという恐怖感が根付き反抗できなくなってしまった。息子の命より、自分の命を優先させてしまったのだ。

 達也は酷く私を殴った日は、必ず反省をして泣いた。

「こんなつもりじゃなかったのにごめんね。僕は最低だ。もう死にたい……」

 自己嫌悪に苛まれている彼を見ていると、胸が苦しくなった。――私がこの人を守ってあげなきゃ。

 困ったことに、達也が私に酷い仕打ちをした後のセックスが堪らなくいい。丁寧に愛撫をしてくれ、普段恥ずかしがって言わない「愛している。お前が必要だ」を繰り返し言ってくれるのだ。



 毎日のように中出しをして自分の子供を作ろうとする達也は、アキオが傍にいるだけで焼きもちを焼いた。

 アキオに見せつけるようにセックスをしたり、私のあそこから流れる愛液をアキオに舐めさせたりもした。

 挙句の果てに、ライブチャットをやっていることを知った彼は、焼きもちから私を更に殴るようになった。

――こいつといたら、正樹のときより酷いことになる。

 分かってはいたが、彼から離れられない。母親としてよりメスとしての自分を優先させてしまっていたのかもしれない。

 アナルのよさを教えてくれたのも彼だし、露出プレイのよさも知った。彼とは性癖や体の相性が合う。私の体を激しく求めてくれるその勢いに翻弄されていた。

「今日は何人の前で股開いてオナニーしたんだよ?」パチンコから帰ってきた達也が私をあざける。

「ねぇ、その人だれ?」達也の隣には頭の禿げた小太りの男がいる。

「この人さ、ガキの肛門の匂いを嗅ぐのが好きなんだって。そのガキの肛門の匂い嗅がせてやれよ。金払うって言ってるし、お前みたいな淫乱雌豚のガキにはもってこいの商売だろ?」

 アキオを守ろうとする私を羽交い絞めし、小太りの男に「好きにしていいから」と達也が言う。

 泣き叫ぶアキオの声を聞いて目を閉じた。

――アキオ、ごめんね……。



「いいね~、最高だよ!」客が賛美の言葉を私に浴びせる。

 アキオのペニスをしゃぶりながら出てきた尿を飲み干したからだ。

 もっと稼げる変態サイトを見つけた達也は、私にアキオとの近親相姦プレーを求めた。彼に嫌われたくない私はその指示に従った。

――私は悪魔だ。もう落ちるところまで落ちるしかない。



 散々繰り返した鬼畜の宴。最近じゃアキオは笑わなくなった。

 こんなお母さんとは一緒にいちゃダメと思い、アキオを捨てに行った。

 アキオを段ボールに入れ蓋を閉めると、まるで息子をペットみたいに扱っている自分に腹立たしくなった。

――やっぱり、血の繋がった子供を捨てるなんて私にはできない。

 ライブチャットで知り合った夜逃げ屋に協力してもらい家を出た。



 新しい住居に引っ越してきて二週間が経った。

 私は賭けに出た。

 アキオの前にボールを二つ置く。赤と黄色だ。

 赤を選んだら、児童養護施設にアキオを入居させた後に自殺。

 黄色を選んだら、成人するまでアキオを育てた後に自殺。

 ゆっくりボールを置く。

――どっちにしても、取り返しのつかないことをしてしまったんだ。死ぬのは覚悟している。

 笑っているアキオ。

 ハイハイしてボールに向かう。

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長編小説【心音】第四話

 沸騰した血液が蒸発していくような感覚になり、意識が徐々に遠のいていく。何度も経験している失神する前の症状だ。もうダメかと諦めていると、後ろから私の両目を塞ぐ人がいる。
「人の目なんて怖くない。怖いなら見なくていい」
 どうやらミンジュさんが私を抱きしめてくれているようだ。視界を遮られたせいか、彼女の言葉がすっと心に響く。失神しかかっていた私の体中に温度が戻ってきた。体中を血液が駆け巡り、心臓の鼓動を耳の奥で感じる。
「大丈夫だから。歌わなくてもいいよ」
 抱きしめてくれた彼女の胸の大きさ。母性に惹かれるという言葉があるが、これがそうなのかもしれない。まるで母に乳を与えられている子供のような気持ちになり安らぐ。
「ミンジュさんありがとう。もう大丈夫だから」
 振り返り彼女を見ると涙ぐんでいる。
「ごめんなさいね、私が歌が上手いって言ったから、あの子達も歌が聞きたいなんて言い出したと思うんです」
 彼女の目から大粒の涙が零れ頬を伝った。
「どうしたんですか?泣かないで下さいよ。私って極度の緊張症で人見知りも酷いんです。だから歌ってって言われてパニックになっちゃって。私の方こそ歌えなくてごめんなさいね」
 ミンジュさんに謝るのと同時にテーブルに座っている皆にも謝った。
「無理することないじゃん、初対面なんだし」
 髪をお団子にしている高校生っぽい女の子が笑っている。その子はさっきの中学生の男の子の頭をこずいて私に謝れと叱りつけた。口を尖らせて謝る男の子。泣いているミンジュさんには子供達が集まり慰めている。腰を落としありがとうと子供達を抱きしめる彼女は笑顔に戻っていった。
「まずはお茶でも飲んで自己紹介をし合いましょう」
 お母さんに似た彼女が紅茶を入れてくれ、テーブルの上に置いてくれた。端っこに座っている子供から順番に自己紹介をしてくれ、夢などを語っているのを聞いていると、自分が小さく思えてきた。
 ここにいる九人の子供達は親がいなかったり、育児放棄をされたり、虐待されたりと、トラウマを抱え生活している。だが夢を語る皆の目はとても生き生きしていて眩しいぐらいだった。
 自分は恵まれた環境にいるのに、日々の生活にいっぱいいっぱいで夢なんて思い描いたこともない。大きな夢がないなら、田舎で暮らしててもよかったはずなのに、どうして自分が東京にいるのか?普段避けていた自分の中の大きな問題点が、この子達を見ていると浮き彫りになってくる。
 私とは対照的にミンジュさんは大きく口を開け手を叩いて笑い、その笑顔を見た子供達もそれに釣られて笑っていた。韓国人の女性と接する機会も今までなかったが、こうして話し合っていると、国籍なんて関係ないように思えてくる。子供達の中には黒人と日本人のハーフの子供もいるし、お母さんに似た彼女は園長さんで在日韓国人二世だそうだ。園長さんと知り合いのミンジュさんは、彼女の紹介でこの施設でボランティアを始めたらしい。
 日本語学校で一級の資格を取ったら母国に帰って貿易商である父親の会社を手伝うそうだ。彼女の両親はニ年前に離婚してしまったらしいが、経営者として尊敬しているという父親の会社で貿易を学びたいんだという。
 彼女は今二十一歳らしいから、二年前といったら十九歳。ちょうど日本に行くかどうかで迷っていた時に両親に離婚されて、それでも単身日本に来て勉強を始めたということになる。親の助けは借りたくないと焼肉屋や韓流グッツを売る店でバイトを掛け持ちでしている彼女は芯が強い印象だ。
 ミンジュさんや子供達と時間を重ね触れ合っていると、情けなく思えた自分が少し前向きになるような気がした。初めて会う人達とこんなに打ち解けた経験もそうない。私はずっと気になっていたことをミンジュさんに聞いてみた。
「さっき私に人の目なんて怖くないって言ったでしょ?どうしてそんなことを言ったんですか?」
「あそこで寝ている子は沙織ちゃんっていうんですけど、彼女も月子さんと同じ病気を持っているんです」
 食堂の隅にある大き目のソファで眠っている少女を見て彼女が言う。
「対人恐怖症みたいなものなんですか?」
 私の問いかけに首を振る彼女。
「親の自殺現場を目撃してから、彼女は感情をなくしてしまったんです」
 沙織ちゃんという少女の両親は、機械部品の製造をする小さな工場を経営していたそうだ。不況の煽りから経営破綻し倒産、借金取りに追われる生活が続いていたらしいが、疲れ果てた両親は工場内で首つり自殺を図ってしまったそうだ。小学四年の彼女が学校から帰ると、両親がぶら下がっていたという。
「沙織ちゃんは私に心を開いてくれたことがないんです」
 寂しそうに唇を噛む彼女は自分の無力さを責めているように見える。ただ救いなのは、沙織ちゃんが歌に反応するらしいのだ。施設に設置してある古いオルガンをミンジュさんが弾いて歌っていると、近くに寄ってきた沙織ちゃんが少し笑ったことがあったらしい。
――彼女が私に歌うようにお願いしていたのは、こういう理由からだったんだ。
沙織ちゃんの話を聞けば聞くほど、自分に何かできないのかと思うようになってきた。


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長編小説【心音】第三話



午後から降り出した雨もやっと止んだが、帽子を被って仕事をしていた私の髪はぺちゃんこだ。天然パーマの私は、雨が降るだけで水分を含んだ髪が重くなり、思った通り髪型も決まらない。長時間帽子を被っていたのも手伝って、悪い科学者のような髪型になっていた。
 電化製品を売るお店の鏡に映った自分の姿を見るが、変な髪型にダサいファッション、猫背でノーメイクと、我ながらイケてない。人に会うのにこんな姿なのはどうかと思うが、財布を拾ってくれたのが女性で本当によかった。もし男性なら、こんな姿は見せたくないから東口の交番に財布を預けて欲しいとお願いしたかもしれない。
 新宿駅に備え付けられた大きな時計を見るともう十九時前だ。ミンジュさんを待たせるのは悪いと思った私は、地面の水たまりを避けることなく、一直線に待ち合わせ場所に走って向かった。
 携帯の着信音が鳴り響く。ミンジュさんからだ。
「ミンジュさんお待たせしました。マック前にいますけど中にいるんですか?」
「ごめんなさい。まだ施設から帰れないんです。沙織ちゃんがもう少しここにいてって泣き出しちゃって」
――施設とはどういうことなんだろう?
「ごめんなさい、話が飛躍しすぎてよく理解できないんです。施設って何ですか?」
「あれ?昨日話したじゃないですか、私は親のいない子供達の施設にボランティアに行っているって」
「本当に申し訳ないんですけど、何も覚えてないんです。所々は記憶があるんですけど……。今は施設にいてこっちに来るのが遅れるということなんですね?」
「食事の後片付けも残ってるし、いけないかもしれません」
 それ困るよと突っ込みを入れそうになった。財布がなきゃお巡りさんにお金も帰せないし、大好きな雪見だいふくも買えない。無言の私を気遣ってか、彼女からこんな提案が出た。
「よかったら、施設まで来れませんか?」
 よくよく話を聞けば、彼女がいる施設は新大久保の駅からそう遠くない場所だった。歩いてでもいける距離なので彼女の提案を呑むことにした。
 新大久保駅に向かう途中裏路地に入ると、民家やアパートなどが密集している場所がある。そこに民間経営の児童養護施設、こどもの家があるらしい。
 彼女に説明された通りの道順を辿ると、案外簡単に施設を見つけることができた。見た目さほど大きくないその施設は、一見保育園のようにも見える。ただ保育園と少し違うのは運動場みたいなものがないということか。児童養護施設と説明されなければ、民家だと勘違いしそうな家の造り。施設を取り囲むような柵に草木が覆い、玄関先の庭には小さな黄色い花が植えられている。大き目のドアの上にはこどもの家と明朝体の文字で書かれている看板。
 二十三歳生きてきて、こういう施設に足を踏み入れたことがない。突然部外者が中に入ったりしたら相手も気まずくなるのではないだろうか? チャイムを押そうか押すのまいか思い悩むが、頭の中で羽の生えた雪見だいふくが飛び回っている。ここは何としても財布を取り戻さなければならない。深呼吸をしてインターフォンを押した。
「どちらさんですか?」明るい声の女性が応対してくれる。
「こんばんは。私森川という者ですけど、こちらにミンジュさんという韓国の女性がいらっしゃいますよね?ここに尋ねるように言われて来たんです」
「話は聞いていますから。今行きますね」
 走ってくるような足音がし、玄関の扉が開いた。
「いらっしゃい」
 微笑む女性は私のお母さんに少し似ていた。ぽっちゃりした丸顔にショートヘアだ。
 玄関で靴を脱ぎ、彼女の後ろをついて長い廊下を歩いていくと、広い部屋に通された。どうやら食堂のようだ。私が入った途端和やかなムードが一変して、十人前後いる子供達の目が敵を見るような目つきに変わった。
――ダメだ。こういう緊張感に堪えられない。吐きそう……。
 貧血を起こしそうになっている私の隣にすっと歩み寄る影。ポンと肩を叩いてきた彼女はあんにょんと言い笑っている。おぼろげだがあの居酒屋での記憶がまた蘇る。彼女はミンジュさんだ。
「みんな、彼女は私の友達の月子さん。歌がすごく上手いの。よろしくね」
 彼女が私を紹介すると、子供達の目つきがまた変わった。中高生に見える三人は気まずさも残っているような顔をしているが、小さな子供達は私の足元に歩み寄ってきた。
 それにしても何て綺麗な肌なんだろう。肌だけじゃなく、歯が白くて歯並びもいい。ストレートの黒髪に細い顔、長い手足に高い身長。ミンジュさんはモデルをやっているのかもしれない。
「だっこして」
 前歯の抜けた小さな少女が私に手を伸ばす。どうしていいのか分からず愛想笑いをしていると、先ほどのお母さんに似た彼女にだっこして下さいと促された。彼女は施設にいる子供ではなく、近所に住んでいる子供だそうだ。両親はいなく親代わりのお爺さんがタクシーの運転手をしていて帰りも遅くなるらしい。ちょくちょく遊びに来るそうだ。少女を抱き上げよしよしをしていると、突然彼女が泣き出した。
「お姉ちゃん怖いよー!」
――精一杯の笑顔を見せたのに……。
 また病気の症状が出始めた。沸騰した血が体中を巡るこの感覚。顔が真っ赤になっているのが分かる。胃が締め付けられ、食べた物が逆流しかかった。
「歌が上手いなら一曲歌ってよ」
 長テーブルの端に座っている中学生ぐらいの男の子が挑発的な目で私を見ている。
――吐きそうな私に歌えですって? そんなことできるわけないじゃない。
 絶体絶命のこの状況、まるであの時と同じだ。小学校六年の全校集会。岡山市主催の絵画コンテストで銀賞を取った私は、全校生徒の前で感想を述べることになっていた。
 学校をずる休みする訳にもいかず、しぶしぶ学校に行った私に待っていたもの。それは沢山の生徒の視線だった。
 体育館の舞台スペースに上がった私は、眩暈と吐き気でふらふらしていた。先生が私の功績を讃え、挨拶をするように促すが、緊張の限界にきていた私はマイクに向かって思いっきり吐いた。
マイクを通して体育館中に響き渡る吐く音。あの日から私はゲロゲロハイパーと呼ばれるようになった。


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長編小説【心音】第二話




 留守電の声は韓国人の女性のようだ。アンニョンという言葉は、よく韓国ドラマを見ていると出てきた単語だ。確かこんにちはとか、さようならに使う言葉だったと思う。それにしてもやけにフレンドリーな女性だ。まるで昔からの友達に電話をしたみたいな口調。留守電を聞き直すが、どうしても彼女が誰なのか思い出せない。悩んだ挙句彼女に電話をしてみることにした。
「もしもし?森川月子さん?」
 明るい声の女性が私の名前を呼んでいる。それもフルネームだ。
「森川月子ですけど、ミンジュさんですよね?」
「はい。昨日は本当にありがとうございました。私の財布はカバンの中にあったんです。あんなに騒いじゃってごめんなさいね」
 財布をなくしたのは私でしょ? あんなに騒いだって何処で? 彼女が何を言っているのか全く理解できない。適当に話を合わせて財布を返してもらった方がいいのだろうか? 携帯を持っている掌に汗が滲む。
「タクシーを拾ってくれて、使えって財布を私に預けてくれたでしょ?この人すごいなって感心してたんですよ。でも財布がなくて大丈夫でした?」
「えぇ、まぁ。あの、私の財布ってどんな財布か言えますか?いえ、疑ってるとか変な意味じゃなく、中に何が入っているのか聞きたくて。念の為の確認です」
「えっと、小銭入れの裏のポケットに写真があります。彼氏の写真かな?」
 やばい。余計なこと言わなきゃよかった。いきなり見られたくないものを見られた。
「もういいです。私の財布だって分かりましたから」
「この顔どこかで見たことあります。日本の芸能人ですよね?」
「そうですけど」
「好きなんですか?」
 どう答えればいいんだろう。初対面の女性と話しているのに、いきなり高田純次のファンだなんて言うのが恥ずかしい。それに彼女は韓国人かもしれない。何故高田純次が好きなのか、いちいち説明するのがめんどくさい。休憩も終わっちゃうし、正直に彼女に打ち明けよう。
「ごめんなさい。実は正直に言いますけど、貴方が誰なのかさっぱり分からないんです。何で私の携帯にミンジュって名前が登録されているのかも分からないし、財布を私が渡したなんて信じられないんです」
 彼女の反応がない。そりゃそうだろう。親切心で電話をかけてくれたのに、その相手に全く知らないと言われたのだ。このまま電話を切られたら、財布は戻らないかもしれないと思うと、眩暈がして倒れそうになる。全神経を耳に集中して彼女の返事を待った。
「ぶはっ、ぐはははは」
 いきなり笑い出す彼女の笑い方があまりにも下品で引いた。
「すいません、何がおかしいんですか?」
「オバマ大統領も好きなんですか?写真が二枚出てきましたよ」
――やっぱりオバマっちの写真見たからあんな笑い声になったんだ。これじゃ私が変な女だって思われちゃう。
 慌てて釈明をするが、そんな私にお構いなしに彼女はこう切り出した。
「いつから記憶がないんですか?新大久保の韓国料理のお店で出会ったのは分かっていますよね?」
――新大久保の、韓国料理のお店?
「私が韓国人の留学生だって話したら、韓流ドラマのことを質問してきたでしょ?共通の好きなドラマのストーリーで盛り上がったじゃないですか?」
 思い出した。そうだ、確かに彼女と話が盛り上がってまっこりのとっくりを空けた記憶がある。
「ごめんなさい、今思い出しました。一緒にまっこり飲みましたよね?」
「そうそう、やっと思い出してくれたんですね。昨日は最高の誕生日でした。素敵なバースデーソングを歌ってくれて、本当にありがとうございました」
「歌ったって、私が?」
「そうですよ。カラオケスペースが店の中にあったでしょ?そこでマイクを持って歌ったじゃないですか?」
――冗談でしょ? 私が皆の前で歌ったって? それもお客さんがいっぱいいたあんな広いお店で。
 聞けば、酔った私がたまたまお客さんでいたバンドの練習の帰りの兄ちゃんにアコースティックギターを生演奏させ、即興のバースデーソングを歌ったそうだ。歌い終わった店内は拍手喝采で感動して泣いている人もいたらしい。その後彼女が財布をなくしたと騒ぎ出して、私が自分の財布を渡して別れたというのだ。
「月子さん、そろそろスターって呼んでもいいんですか?」
「何ですか、それ?」
「自分で言ったじゃないですか、私をそう呼んでって。昨日はずっとそう呼んでたでしょ?」
 穴があったら入りたいってこういう時に使うものだと思った。彼女に昨日の話を聞けば聞くほど、自分がどんどん小さくなっていくようだ。



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長編小説【心音】第一話

目覚めると布団の上に生首が二つ転がっていた。
手を伸ばしてそれを取ろうとすると、体中に激痛が走る。左手の肘は擦りむけていて、赤く腫れあがっている。
昨日の夜のことを思い出そうとするが、居酒屋を出たあたりからの記憶が定かでない。
――それにしても、何で美容師の練習用の生首を持ち帰ったんだろう?
立ち上がると右足首に痛みを感じた。
――思い出した。ゴミ捨て場にこれが捨ててあって、蹴りながら帰ってきたんだ。
冷蔵を開ける。いつも飲んでいる炭酸の強めのサイダーが入っていない。
近所の自販機にサイダーを買いにいこうと思い財布を探すが、どこにも見当たらない。
――最悪だ、またやってしまった。
お酒を飲みすぎるといつもこうだ。記憶が飛び訳が分からなくなる。前は帽子をなくしたし、その前は携帯を便器の中に落としてしまった。
いつだったか、朝目が覚めると家の中に自分の自転車を持ち込んで一緒に寝ていたことがあり、呆れすぎて笑った経験もある。自分の行動を反省するが、また酔っては同じことを繰り返す。ほんと情けない。完全にアルコール依存症だ。時計を見るともう朝の六時半。
――はぁ、もうバイトの時間なのにどうしよう。
 今年の東京は三月なのに異常に暑い。温暖化が加速しているとテレビのニュースでアナウンサーが言ったりしていたが、今日は特に暑い。シャワーだけでも浴びたいが、そんな時間もない。やっと見つけたビル掃除のバイト。このバイトをクビになったら今月の家賃すら払えない。
 メイクもせず家を飛び出した私は、駅前の交番のお巡りさんに助けて貰うことにした。
「あの、その、ごめんなさい」
 若いお巡りさんはしどろもどろになっている私を見て怪訝な表情だ。ただでさえ道端でパトカーを見かけると、悪いこともしてないのに逃げ出したりするのに、今はお巡りさんと対峙している。私にとっては、勇気を振り絞った行動だ。
「お金、お金、」
 ダメだ、上手く言葉が出てこない。
「どうしました?」
 見るに見兼ねたのか彼が私に話しかけてきた。
 事情を説明し電車賃を貸して欲しいと頼むと、彼は快く引き受けてくれた。ホッとして電車に飛び乗ったが、自分の脇の下の汗染みを見て溜息をついてしまう。
 他人と話すといつもこうだ。緊張して、全身に汗をかき、顔は赤面、酷いときは吐き気まで催してしまう。この緊張症のせいで四年前には彼氏にも振られた。
「どうして一年も付き合ってるのに、僕の目を見て話してくれないの?もう疲れたよ」
 捨て台詞を言い去っていく彼氏の後ろ姿を泣きながら見いたあの日。緊張症のせいで、いかないでって叫ぶことすらできなかった。
 思えば子供の頃からそうだった。親ですらあまり目を見て話したことがない。小学三年生の頃に名古屋から岡山の小学校に転校した。三十人いる生徒の前で挨拶をすることになった私は、初めましてと言おうと口を開けた途端、緊張し過ぎて吐いてしまった。
 それからずっと小学校を卒業するまであだ名はゲロゲロ。いや、小学校六年の頃はゲロゲロハイパーに変わっていた。理由は全校集会で吐いたからだ。
 中学に上がってからもこの極度の緊張症は続いて、いつからかあだ名がゲロゾンビになっていた。高校は女子高だったからまだ緊張症もましにはなったが、結局は友達付き合いもせずバイトに明け暮れて高校生活を終えた。
 私には東京で自分を変えて生きたいという夢があった。その為には上京資金を貯めなければならない。学校が終わるとそば屋の洗い場でひたすら皿を洗った。
 十八歳で東京に上京したが、自分を変える筈だったのにそれが上手くいかない日が続いた。
 自分を見た目だけでも変えるなら美容院やエステ、ネイルサロンなどに行けばいいだろう。だが、その店で緊張のあまり吐いてしまうのではないかと思うと、怖くて行けないのだ。
 一年後にはストレスで十キロも太ってしまった。元々身長も高くなくぽっちゃり型の私は、関取みたいになっていた。
 ストレスを発散しようと酒を飲み出したが、その量はどんどん増えていった。これじゃダメだと思いバイトだけは頑張ろうと一生懸命になるが、何処で働いてもクビになってしまう。
 ファミレス、居酒屋、カフェなどの人前に出て接客するような仕事は自分に合わないと思い、調理場で働いてみたが、もっと酷かった。決められた時間の中で調理長や先輩と会話のやり取りをして料理を作らなければならない。ずっと下を見て小声の私に聞こえてくる調理長の怒鳴り声。
「目を見て話せ!」
 日本料理の店でバイトした初日に、二時間で逃げ出したこともある。何の資格も持っていない私には、バイト先も限られてくる。人前に出ないようなバイトをするなら、運送業とかもいいかもしれないが、高校生の頃はバイトばかりしていて、車の免許を取っていない。十八歳からあらゆるバイト先をクビになり、二十三歳の今、やっと長く続けられそうなバイト先を見つけた。それがビルやお店の掃除をするこの会社だ。
 バイト先のお昼休みに、銀行のカードを止める手続きをしようかと携帯を休憩室に取りに行くと、留守番電話のマークが表示されたいた。着信先を見てみるとミンジュとなっている。
 日本人じゃないかもしれない名前に驚くが、電話帳に登録してるぐらいだから、私自身が登録したのだろう。だが心当たりがない。折り返し電話をするのも怖いので、まず留守電だけ聞いてみることにした。
「月子さんこんにちは。財布を預かったままですけど、いつ返せばいいですか?また電話しまーす。アンニョン」



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